紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

眠れない

書くことを特に思いつかないけれど、久しぶりにログインできたので、何か書いてみようと思った。

こんな夜中に。窓の外は灰色と紫が混ざった色の明度が徐々に上がってる気がする。

 

書くことがないくせにブログを開いて文章を考えてしまうのは、本当は何か書きたいんだと思うんだけど、なんだろうな、わからないな。

 

自身のブログの過去記事を読み返してたら、昔は文章上手だったなあ…なんて。いや、やっぱり下手かな。相変わらず何が言いたいのかよくわからない。

ただ、下手なくせに書きたいことは山ほどあったんだろうな。それが若さなのかな。

考えることがしんどい

色んなことを考えることが好きだった。学問のこと、生活のこと、社会のこと、自身のこと。なんでも考えて、とりあえず現時点での答えを出して、指標となるものを探して、自分が考えたものと答え合わせをする。そういうのが凄く好きだったんだけど。

 

今はしんどい。なんだろう、上手く言い表せないけど、すごくしんどい。

 

自分はどこにも属さない、もとい、属せない人間なのかもしれない。説明は省くけど、そう思うことが多い。考えたものと集めたものとで答え合わせをしているうちに、頭が痛くなる。

 

もう余計なことは考えない方が良いのかもしれない。

今はただ、誰かに癒してほしい…?甘えたいのだろうか。精神的には甘えたくないのになあ。

 

時間が経てば消えるのかな。それだといいなあ。

登場人物は少なく、それでいて多種がいい

敵も味方もガンダムガンダムガンダムが戦っているだけ。

高校生の頃に放映されていたガンダムを見て、なんとなくつまらないなと思ってしまった。ガンダムにはガンダムでしか対抗できない世界が出来上がっている。

こうなると相手側の執念は見取ることが出来ても、覚悟や意地や矜持みたいなものは薄れてしまう。ちゃんとストーリーが付いてるから目的は見えてるんだけど、登場人物の目的達成の意味に軽さが出てしまう。

色々言うけど、結局同じものばかりが出るとつまらなくなってしまうことが多いと思う。

で、結局キャラ単体の人気で売り出すことにシフトしてしまうのかなあなんて。

 

安易な展開で、主人公がとてもいい人!敵対するのはどうしようもない人間!みたいなのも多い。

物語を盛り上げるためにキャラ設定をして、話を強引に進める。悪いとは思わないけど、面白くはない。

敵であろうが味方であろうが、各々の正義と信念を貫き、人道から外れるようなことはしない。道は違えど、人としては一生懸命であって欲しい。

 

今期のアニメはどれも期待できそう。

色々見始めてみようかな。最近全然アニメ見てない気がする。

 

やっぱり変わらない

あれも欲しいこれも欲しいと思うことが少なくなってきた。以前よりも大人になってしまったんだろうか、それともただ欲がなくなってしまっただけなんだろうか。

薄れてしまったのは主に物欲であり、その他も低下していると思うけど、明確に感じられるのは物欲の他ではない。

 

服が欲しい、靴が欲しい、鞄が欲しい、ゲーム機が欲しい、本が欲しい、椅子が欲しい、去年は1年中ずっとそんなことを考えていた気がするのに。

 

 

一番強く残っている欲はなんだろう。

今したいことを挙げれば、景色を見ることかも知れない。住んでるところでも良いし、遠いところでも良い。とにかく景色が見たい。

景色と言っても、風景ではない。例えば一緒に歩いて、一緒に話して、一緒に何かを食べて、一緒に感動する。

僕の目を通した、あなたが映っているその瞬間を見ていたい。それが一番したいこと。

 

横顔でも、肩でも、足の裏でも、僕の目が捉えた信号が脳に伝われば、僕はちゃんと傍を歩いていると感じられる。

1年が経ちました

一緒になってから、一年が経った。早いように思えるのは、たぶん新しい環境におかれている所為だと思う。

あっという間な気がするけど、写真を見て振り返ると長く思えるところを見ると1年間しっかり過ごしたんだと確信が持てる。

ぼーっと過ごしていたんじゃなくて、ちゃんと一緒に、同じ景色を見ていたんだなあって。

 

これからも焦ることなく、隣をずっと歩いて行きたい。僕が見る景色だけじゃなくて、君が見る景色にもこっそりお邪魔をする。

ふたりで見たり、ひとりで見たモノを共有したり。それが一番楽しい。

 

最近は、僕が手を引っ張るだけじゃなくて、引っ張ってくれる。手を引かれることって、結構あたたかいのね。知っているようで知らなかった。

 

先を見据えていない、将来性がない。他人からすればそういう風に見えるのかも。

でも全然気にならない。ふたりはふたりのペースだから、迷うことはあったとしても、急ぎすぎて頭打ちすることなんか無いだろうし。

もそもそなのなのと、人より遅い半歩以下で離れないように歩いているのが、性にあってるんでしょう。

 

1年を過ごせた喜びは文字にできなかったけど、それほどまでに嬉しいんだよ。

大事にしてても傷はつく

■ボールペン

大切に扱っていても傷はついてしまうもの。傷ついたものを見て、自分も少し傷つく。そう考えたら、僕は自分のものとシンクロしてしまっているのかも知れない。

 

去年の誕生日に貰ったボールペンが嬉しくて、ずっと持ち歩いている。最初は手帳にくっつけておこうかと思ったけれど、そうすると傷がついてしまうと思って筆箱に入れてた。

安全と思っていたけど違ったみたいで、中でペン同士が擦れ合ってよく見たらもう傷だらけ。

そろそろ1年経つとはいえ、こんなに早く傷をつけるつもりはなかったのにな…。けっこうショックだったりする。マット仕様になっているのも、傷が付きやすい原因の一つなのかも。

でもまあ、これだけ傷がついてたら誰かが盗んだりすることもないでしょう。そう思うとなかなかこの傷も悪くない。これからもずっと一緒。

 

■あまり好きではないもの

あることで腹を立ててしまい、当事者同士で文句を言い合ったり傷つけあったりすることはよくあることだと思う。その行動一つ一つを取り上げてどちらが悪いかなんて決めることは馬鹿馬鹿しいし、第三者からすればどちらでも良いことなのだ。

しかし、最近よく目に付くのは、書籍やネットで不特定多数の第三者へ向けて愚痴のようなものを書いて鬱憤をはらす人が多い。

知恵袋なんかを覗けば、うちの旦那が妻が知人が…とそういうくだらない書き込みについて言えば枚挙に暇が無いが、ちょっとぞっとしたのは書籍の方だった。

 

旦那が発達障害、いわゆるアスペルガーであり、著者はそれに困っている。著者が苦労した経験をコミックで綴り、コミカルに時には辛辣に伝えているのだ。

個人的な感想を述べれば、著者はがんばってます!というのを言いたいだけの書籍だった。何より著者自身もADDを抱えていたりと、まあ、読み進めていく内に他人に厳しく自分には甘いタイプだと思った。

よくわからなかったのは、著者が何かに腹を立て旦那に愚痴をぶつけた時に、思った反応が返ってこなくて、著者がキレるというもの。というのも、旦那は愚痴に対して否定的な意見をぶつけているわけでもなくうんうんと話を聞いているので、何も間違っていないように思えるのだが、どうもそこが気に食わないとか。「この人はわたしの言葉を吸収するだけなんだ…」みたいなことが書いてあるのを見て、著者にも問題があると思い始めた。

たしなめたり、時には叱ることもあっても良いとは思う、それだけ近しい人なんだし。ただ、マストではない。でもそれを出来ない旦那を著書内で罵っているのである。

 

さて、何が一番怖いかというと、発達障害(と言っても一方から得られる情報であり接しても無いので断言はできない)であるかも知れないレベルの旦那の欠点となるであろう行動や態度を取り上げて、馬鹿にしているところだ。

欠点かも知れないその部分というのは、他者に公開されて馬鹿にされるべきものであろうか。仮にも障害であるとしたら、その障害ゆえにできないことであるのに、罵られたり他者と比べられて出来ないと蔑まれたり、そして第三者にそういう目で見られるべきなのであろうか。

障害を指差して笑うことと何ら変わりはないと思う。

単なる事例紹介のコミックエッセイではない。ただ、旦那の悪口を書き綴り自分を慰めている本だった。

しかし、こういう本が良く売れるんだから、なんかもうぞっとするよね。

 

自分がそうなった時、たぶん、他者には相談しないし、相談したとしても公言はさせない。相手に腹が立ったとしても、その相手が第三者から悪く見られたり罵られたりすることは辛抱ならない。

さらには、人間関係がコントロールが出来ていない自分の恥でもある。近しい人ならもっともっと話す時間もあるだろう。そして時間には長いも短いも無いはず。

それで続けるか諦めるかが重要なのに、大切な人を見ず知らずの他者からの攻撃の的にしてどうするんだ。そっちの方が精神をすり減らしそうだと思う。

自分はこういう人間にはならないように努めたい。

気が付けばデジカメの画素数を超えていた

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オートフォーカスも昔なんかより性能が良くてほんと感動する。撮影はZ4。

 

XperiaZ4(SO-03G)の画素数が2070万、一方僕が持ち歩いているCyber Shot(DSC-WX200)は1820万。光学式ズームを搭載しない高性能デジカメを持ち歩く時代になったんだなあと思った。カメラの撮り方には特に拘りが無い僕は、ズーム機能を使うことが滅多にない。

あ、でもたまにプラモの立ち姿を撮りたい時に使うかも知れない。レンズを近づけると頭身がくずれてしまうから。

 

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食べ物の写真だっておいしそうに写る。

昔のブログでは、よく写真屋さん(photoshop)を使ってレベル・カラー・コントラストの調整をして美味しく見せたもんだけど、今は全然必要ないのかも知れない。

今回の写真は全部無加工。これだけ明るさが出てるんだもの。ほんとにすごい。

 

そう思うと、写真を撮るのが楽しくなってきた。スマホのカメラも良いんだけど、せっかくのコンデジを使いこなそうかな。そうしないと宝の持ち腐れだ。説明書とか引っ張り出してシーンに合わせた最適な調整で写真を撮りたい。。

 

そしてそれを残したい。

自分が見たモノ、網膜に焼いて脳の中に刻んだもの。容量が決まってるからやっぱりどこかで消してしまう。だから、物理的に残せば良いんだと思う。今更だけど、本当にそう思う。

 

たくさん出かけようね。これからも。