紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

思い出してよ

せっかく「はてなブログ」を始めたのに、書くこと、または書く習慣をつけようとしていたことを、すっかり忘れてしまっていた。

 

今思っていること、思い続けていることを文章で残したい。なぜなら、その時に感じたことや思ったことは、その時にしか得られないもので、後日に思い出したとしても全くと言って良いほど感覚が違うのだ。だから、なんとしてでも、その時に感じたことを鮮度の良いままで書き残したい。

 

最近、脳内に居座り続けているものは、性に関すること。こう言うと桃色な方に捉われがちだが、もっと概括的なものとしての性だ。

どうして性別なんかあるんだろうか。性別って面倒くさいなあ。分かれている所為で、不思議な気持ちにさせられることなんかしょっちゅうだし。好意を寄せることはあっても、惚れっぽいわけではない。仲良くなった異性が居ても、よっぽどじゃない限り心を開くことはないし、許すことも無い。よく考えたら異性でなくてもそうなんだけど。

 

性別なんかより、「その人」を見てしまう。人間性とでも言うのかな。正しく当て嵌まる言葉が思いつかない。男性であろうが女性であろうが、「その人」のここが好き!となると、僕はそこへのめり込む。

そうやって、好きな人が出来る。でもそれは恋愛じゃない。恋愛感情が存在しない。

 

稀に、そこから恋愛に発展させてみたいと思う時だってある。たぶん人間だから、そう思うんだろう。でも、お付き合いしてまで一緒に居たいか?と考えると、それはまた違うような気がして、結局今のままが良いと自己完結してしまう。

自分が好いているあの人は、僕と深く関わっていない状態だからこそ、魅力的に見える。それは、とても自由に見えて、他者にも自分にも気遣うどころか媚びることもない。

自由に生きるその人だからこそ、その人のことが好きなんだと思う。

 

恋仲になると、あまりモノを深く考えない僕だって相手を思って悩みに耽ることがある。となると、相手はもっともっと考えてくれているかも知れない。

自分のことを思ってくれていると捉えると、嬉しく思えるかも知れないけれど、それが障害になっているのかと考えると、そのことが不幸に思えてしまう。

 

ならばどうする。自由なあなたが好きです。だから自由で居てください。とでも言うのか。それはそれでお付き合いなんかじゃないだろうし、人付き合いでも無さそうな気もする。

 

色々考えた後、いつも思うことは、自分は他者に心を許したくない人間だということ。

好いてくれる、懐いてくれる。本当に嬉しいけど、ここから先には入らないで。心のどこかでそう考えて続けていて、それが消えることは無い。

 

 

人を好きになっても、「好き」を「恋心」にすることは、とても難しいのか。自分が一瞬だけ、「恋心かな」と思っても、ゆっくり悩み考えてみると、やっぱり違う。恋ではなく、その時に溢れた好意だった。