紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

気温は11℃以下

関西圏の人は、形容詞を発する時にマ行をバ行で発音してしまうことが多いらしい。

「さむい」を「さぶい」って言うのはよく聞くんだけど、他はあんまり思いつかない。

 

気温が低くなると、人肌が恋しくなる。そういうものなのかな。

今の僕はなんとも言えない不安のようなものに囲まれていて、どうしようもない。弱気になっていて、思慮深いとはほど遠いただの心配性になっている。

もともと自信もないから、自身でフォローもできない。

 

 

ふと気づいたのは、自分の思い上がりのようなもの。思い上がりというのは、少し表現が違うけれど、他にことばが思いつかなかった。

自分との付き合いと、他を比べた時、自分が一番新しくて短い。家族が居て、友達が居て、ネットでの繋がりが居て、さらに進んだ先に僕が居る。

単純に交友期間を計算しても、7ヶ月といったところか。そんな自分が、いつの間にか一番近くに居ると思い込んで、行動していた。

一番近いところに居る存在であるから、誰よりも強く考え願い、誰よりも理解していると思った。

 

ところが、それは違う。現実は違うし、よく考えたらわかること。人が心を開くのには、必ず時間が必要なのに。

僕じゃなくても、各所から心配されているだろうし、自分よりも知っている人がたくさんいるはずなのに。

そして知らないから、結局身の丈にあった心配の仕方ができない。

 

結局はなんだったのか。

それは、自分が一番近いところに居るということを、相手に望んでいただけなのかも知れない。

「僕は傍に居るよ」じゃなくて「僕は傍に居るよね」と確認しているだけ。

 

 

心配も結局は、そのようなものだったのではないだろうか。

「一番心配しているんだよ」ってアピールしているだけ。たぶんそう。

 

一生懸命になっているつもりが、ただの存在証明を行っていただけだったのではないか。

本当に情けない自分が見える。もう見たくない。

弱さが出ると、すぐに人に頼ろうとするから良くない。頼るには、時と場合、相手の状態だって考慮しないと。

ああ、何をやっているんだろうか。

 

 

気温が低くなると、外に出たくなる。

寒さには慣れているから。あったかい格好をして、必要なものだけじゃちょっと物足りないから、使わなさそうなアイテムも少し加えて。

頬を指すような風に当たりながら、吐き出す息とともに煙も送り出す。

 

そういえば、去年も、今年は中頃までも、嫌いな匂いに助けられた。大学の寂しすぎる喫煙所に震えながら腰掛けて、静かに煙を吐き出していた。

あそこは空気が綺麗だったから、吸い込む空気も吐き出す息も美味しかった気がする。

そして耐性が無いから、数本吸うだけですぐに眠くなる。くらくらっとして、休みたくなるのだ。その所為で学芸員の講義の時間をまるまる寝過ごしてしまったことがあったな。

久々に行ってみようかな。駅から1.6kmも歩かなくちゃいけないけれど、耐えられるだろうか。

 

ああ、卒業論文の資料の最終チェックをしていたのは、もう1年以上前になるのか。もう一度、陽の当たりすぎるあの大学図書館に足を運びたい。

図書館で温まりすぎて、ぼーっとした顔と、脳が乾いてしまったかのような感覚になりながら外に出るのだ。

本当に寒くて、思わず笑ってしまうあの感覚。

 

その寒さがまた自分の背中を押してくれるんじゃないかと勝手に期待している。