紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

大事にしてても傷はつく

■ボールペン

大切に扱っていても傷はついてしまうもの。傷ついたものを見て、自分も少し傷つく。そう考えたら、僕は自分のものとシンクロしてしまっているのかも知れない。

 

去年の誕生日に貰ったボールペンが嬉しくて、ずっと持ち歩いている。最初は手帳にくっつけておこうかと思ったけれど、そうすると傷がついてしまうと思って筆箱に入れてた。

安全と思っていたけど違ったみたいで、中でペン同士が擦れ合ってよく見たらもう傷だらけ。

そろそろ1年経つとはいえ、こんなに早く傷をつけるつもりはなかったのにな…。けっこうショックだったりする。マット仕様になっているのも、傷が付きやすい原因の一つなのかも。

でもまあ、これだけ傷がついてたら誰かが盗んだりすることもないでしょう。そう思うとなかなかこの傷も悪くない。これからもずっと一緒。

 

■あまり好きではないもの

あることで腹を立ててしまい、当事者同士で文句を言い合ったり傷つけあったりすることはよくあることだと思う。その行動一つ一つを取り上げてどちらが悪いかなんて決めることは馬鹿馬鹿しいし、第三者からすればどちらでも良いことなのだ。

しかし、最近よく目に付くのは、書籍やネットで不特定多数の第三者へ向けて愚痴のようなものを書いて鬱憤をはらす人が多い。

知恵袋なんかを覗けば、うちの旦那が妻が知人が…とそういうくだらない書き込みについて言えば枚挙に暇が無いが、ちょっとぞっとしたのは書籍の方だった。

 

旦那が発達障害、いわゆるアスペルガーであり、著者はそれに困っている。著者が苦労した経験をコミックで綴り、コミカルに時には辛辣に伝えているのだ。

個人的な感想を述べれば、著者はがんばってます!というのを言いたいだけの書籍だった。何より著者自身もADDを抱えていたりと、まあ、読み進めていく内に他人に厳しく自分には甘いタイプだと思った。

よくわからなかったのは、著者が何かに腹を立て旦那に愚痴をぶつけた時に、思った反応が返ってこなくて、著者がキレるというもの。というのも、旦那は愚痴に対して否定的な意見をぶつけているわけでもなくうんうんと話を聞いているので、何も間違っていないように思えるのだが、どうもそこが気に食わないとか。「この人はわたしの言葉を吸収するだけなんだ…」みたいなことが書いてあるのを見て、著者にも問題があると思い始めた。

たしなめたり、時には叱ることもあっても良いとは思う、それだけ近しい人なんだし。ただ、マストではない。でもそれを出来ない旦那を著書内で罵っているのである。

 

さて、何が一番怖いかというと、発達障害(と言っても一方から得られる情報であり接しても無いので断言はできない)であるかも知れないレベルの旦那の欠点となるであろう行動や態度を取り上げて、馬鹿にしているところだ。

欠点かも知れないその部分というのは、他者に公開されて馬鹿にされるべきものであろうか。仮にも障害であるとしたら、その障害ゆえにできないことであるのに、罵られたり他者と比べられて出来ないと蔑まれたり、そして第三者にそういう目で見られるべきなのであろうか。

障害を指差して笑うことと何ら変わりはないと思う。

単なる事例紹介のコミックエッセイではない。ただ、旦那の悪口を書き綴り自分を慰めている本だった。

しかし、こういう本が良く売れるんだから、なんかもうぞっとするよね。

 

自分がそうなった時、たぶん、他者には相談しないし、相談したとしても公言はさせない。相手に腹が立ったとしても、その相手が第三者から悪く見られたり罵られたりすることは辛抱ならない。

さらには、人間関係がコントロールが出来ていない自分の恥でもある。近しい人ならもっともっと話す時間もあるだろう。そして時間には長いも短いも無いはず。

それで続けるか諦めるかが重要なのに、大切な人を見ず知らずの他者からの攻撃の的にしてどうするんだ。そっちの方が精神をすり減らしそうだと思う。

自分はこういう人間にはならないように努めたい。