紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

あけました

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

 

ブログについては、当初は毎日何かを書いて「インプットとアウトプットで脳の活性化!」と意識の高い志を持っていたのですが、途中から一週間に一回書けたらいいや、そしてついには月に一回…というお粗末なペースになりました。

そんなお粗末なブログですが、2015年ものんびり書きたいことだけを書いていこうと思います。

 

昨年の振り返りをすると、まず思うことは後半の時間の過ぎ方の早さがすごかったなということ。

7月の後半から年末まで、本当にあっという間でした。光陰矢のごとし。

気が付けば新年を迎えていたよ。

 

振り返る中で一番印象的だったのは、人生初の夢の国へ行ったこと。

想像以上に楽しかった。というのも、大切な存在と一緒に行けたからってのが一番の理由なんだろうけど、何んとなく現実離れした空間に凄く居心地の良さを感じたんだろうなあ。

メインイベントでもあるパレードはそんなに感動するものでもなかったんだけど、待ち時間をくだらない話で過ごしたり、並んでる途中に見れる建物の装飾やオブジェの拘りを探ったり…そこからアトラクションに対する楽しみに全力を出すことが本当に楽しかった。

今までの僕ならきっと、ジェットコースターに乗っても無言だ。ただまっすぐ前を向いて体に掛かる慣性力にひたすら耐えて、使わない筋肉を使ったなと考える。

今回はやたらと声を出してみたり、はしゃいでみた。声を出した方が、身体に掛かる慣性力が和らいだ気がした。苦しくなかったように思えた。

終わってから横でにこにこ笑ってる顔を見て、ほっと和んで、そして愛しく感じる。

 

手を繋いで歩いた夢の国の中は全て暖色にしか見えなかった。自分が捉えてた景色は、その世界ではしゃいだり笑ったりする君が写り続ける絵だった。

何回目を瞑っても、逸らして戻しても、ちゃんと居続けてくれる景色だった。

 

あたたかくて、やさしくて、のんびりしている。僕はまだ写真を見て、余韻に浸っている。嬉しくて目が温められてしまうほどに。

 

 

互いの誕生日、クリスマス…ふむふむ。短期間の間に結構楽しんでる気がするなあ。

やりたいことがまだたくさん残ってる。これからどんどん経験していこう。

 

 

お正月はお互いとも大吉。素敵な幕開けになったんじゃないでしょうか。

といっても、お正月早々困らせてしまう失態はありましたが…反省します。

今年も良い年にしましょう。

気温は11℃以下

関西圏の人は、形容詞を発する時にマ行をバ行で発音してしまうことが多いらしい。

「さむい」を「さぶい」って言うのはよく聞くんだけど、他はあんまり思いつかない。

 

気温が低くなると、人肌が恋しくなる。そういうものなのかな。

今の僕はなんとも言えない不安のようなものに囲まれていて、どうしようもない。弱気になっていて、思慮深いとはほど遠いただの心配性になっている。

もともと自信もないから、自身でフォローもできない。

 

 

ふと気づいたのは、自分の思い上がりのようなもの。思い上がりというのは、少し表現が違うけれど、他にことばが思いつかなかった。

自分との付き合いと、他を比べた時、自分が一番新しくて短い。家族が居て、友達が居て、ネットでの繋がりが居て、さらに進んだ先に僕が居る。

単純に交友期間を計算しても、7ヶ月といったところか。そんな自分が、いつの間にか一番近くに居ると思い込んで、行動していた。

一番近いところに居る存在であるから、誰よりも強く考え願い、誰よりも理解していると思った。

 

ところが、それは違う。現実は違うし、よく考えたらわかること。人が心を開くのには、必ず時間が必要なのに。

僕じゃなくても、各所から心配されているだろうし、自分よりも知っている人がたくさんいるはずなのに。

そして知らないから、結局身の丈にあった心配の仕方ができない。

 

結局はなんだったのか。

それは、自分が一番近いところに居るということを、相手に望んでいただけなのかも知れない。

「僕は傍に居るよ」じゃなくて「僕は傍に居るよね」と確認しているだけ。

 

 

心配も結局は、そのようなものだったのではないだろうか。

「一番心配しているんだよ」ってアピールしているだけ。たぶんそう。

 

一生懸命になっているつもりが、ただの存在証明を行っていただけだったのではないか。

本当に情けない自分が見える。もう見たくない。

弱さが出ると、すぐに人に頼ろうとするから良くない。頼るには、時と場合、相手の状態だって考慮しないと。

ああ、何をやっているんだろうか。

 

 

気温が低くなると、外に出たくなる。

寒さには慣れているから。あったかい格好をして、必要なものだけじゃちょっと物足りないから、使わなさそうなアイテムも少し加えて。

頬を指すような風に当たりながら、吐き出す息とともに煙も送り出す。

 

そういえば、去年も、今年は中頃までも、嫌いな匂いに助けられた。大学の寂しすぎる喫煙所に震えながら腰掛けて、静かに煙を吐き出していた。

あそこは空気が綺麗だったから、吸い込む空気も吐き出す息も美味しかった気がする。

そして耐性が無いから、数本吸うだけですぐに眠くなる。くらくらっとして、休みたくなるのだ。その所為で学芸員の講義の時間をまるまる寝過ごしてしまったことがあったな。

久々に行ってみようかな。駅から1.6kmも歩かなくちゃいけないけれど、耐えられるだろうか。

 

ああ、卒業論文の資料の最終チェックをしていたのは、もう1年以上前になるのか。もう一度、陽の当たりすぎるあの大学図書館に足を運びたい。

図書館で温まりすぎて、ぼーっとした顔と、脳が乾いてしまったかのような感覚になりながら外に出るのだ。

本当に寒くて、思わず笑ってしまうあの感覚。

 

その寒さがまた自分の背中を押してくれるんじゃないかと勝手に期待している。

冬が運んでくる

この前、玄関を出てすぐ、自分の息が白くなることに気づいた。朝の7時台でこんなに息が白くなるなんて、もう冬なんだなあ。そういえば、空気も冬の匂いがする。冬の匂いを感じると、いつも焚き火の少し焦げ臭い煙の匂いが連なって思い出される。

 

いつも一生懸命な君は、僕の手を握ってくれる。気温に伴って冷たくなってしまう僕の手を、温めてくれる。

手だけじゃない。気持ちも温めてくれる。僕の顔を、下から優しく覗き込んで笑ってくれる。

 

 

自分は本当に弱くなった。弱くなったなと思うことが多くなった。昔の自分なら、といっても昔の自分もそんなに強くなかったけれど。

このいろんなことがあった2年間は、僕自身を弱くしてしまった。自分から弱くなってしまったと言った方が正しいのかも知れない。それが自分で理解できたとき、急にひとりになりたくなった。こんな自分は、誰かと一緒に居るべきではない。居たら迷惑をかけるだろう。どのように迷惑を掛けるのかは自分でもわからないけれど。

 

そして、自分がうまくコントロールできていない気がする。感情が大きく揺れる。

前はこんなことでイライラしなかったのに。前はこんなことで泣いたりしなかったのに。前はこんなことで諦めたりしなかったのに。

 

4月からは新しい環境に早急に馴染まなくちゃいけない。外向きの顔を作って、一生懸命に弱くなった自分を殺した。殻を着て歩き、仕事をする自分はとても楽だった。

気持ちの良いものではないし、生きる意味を持てなくなることも多いけど、やっぱり楽な気がした。

 

 

今は、その殻が無くなってしまいそう。ゆっくり剥がし取ってくれる、また、殻を捨てるのを待ってくれている人が居る。一生懸命気持ちを持ち続けてくれて、必ず優しい顔を向けてくれる君。

そんな君が見せる態度や、くれる言葉に対して、様々な態度を示して、時には困らせる僕。優しい君は、それでも一生懸命に歩幅を合わせようとしてくれる。

 

 

 

冬の夜は黒くて寒い。空が灰色に見えることもある。

冬が運んでくるものは僕の身体を凍てつかせる。冷たくなった身体には、君の温かさが少し染みてジワリと融ける。融けて、たまに溢れる。

 

その温かさを知ってしまい、僕はさらに弱くなるのかも知れない。でも今より弱くなっても、横で歩いていたい。

大切な気持ちを抱いて君がくれたものをちゃんと抱えて、僕からもしっかり贈りかえしたい。

東京の夜は明るい

午前2時過ぎなのに、ちらほらと人が歩いてる。

 

昔から秋葉原ライブカメラを見ながら夜を過ごすのが好き。Ustreamの配信で、ラグはあるものの、秋葉原の現状を提供してくれる。と言っても交差点だけなんだけど。それとBGMが流れていて、ゲームの曲からジャズまで結構幅広い。おかげで音楽には困らない。

ほら、ブログに書いてるうちに雨が降り出して、道路が光りだした。東京は雨なんだな。

 

ライブカメラを見ていると、いつも東京へ行きたくなる。秋葉原だけじゃなくて、夜のライトアップされた東京都のいろんな街を歩きたい。ああ、これが首都なんだなって感じたい。

そうやって、自分の日常から抜け出して、新しい景色を網膜に焼き付けて、脳に保存したい。

 

ただそれだけのことだけれど、本当に楽しい。

秋葉原ライブカメラは、その楽しみを少しだけ提供してくれる。

書きたいことが断片的でまとまらない

正直になればなるほど、どんどん弱くなっている気がする。甘えがたくさん出るようになってしまっている。こんなのでいいのかと、不安に思ってしまう。前の方が良かったんじゃなかろうか。

 

いや、前が良かったなんて、やっぱり思えない。前は前で苦しかったもの。周りのみんなを見ては、正直に生きてるなあってよく思ったものだ。自分は全然正直になれなくて、本音の自分とは違う作られた自分が表に立って、その自分から見た世界を捉えて、その自分から得たものを本当の自分に蓄積していた。その場はやり過ごせるけれど、振り返ると気持ち悪さしか残らない。

 

今は正直な自分に慣れていないだけ。慣れていない自分を見たくないんだけれど、見てくれる人が居るんだから、がんばらないと。

 

 

そういえば、自分が一生懸命に掲示板を覗いていた頃って、もう10年も前のことになるんだなあ。2002年は掲示板よりテキストサイトをよく覗いていた。アーケードゲームのレビューやプレイ日記をひたすら読んでいた気がする。それが2004年まで続いたのかな。SSを載せているサイトも多かったような…。

あの懐かしいテキストサイトというのは、もう見なくなった。2chのスレを纏めたまとめサイトの登場で、淘汰されていったようにも思える。

 

ぼーっとサイト巡りをして、フォントサイズやカラーを変更して面白おかしく作った文章をだらだら読んで、自分のブログも書いて…。あの頃が一番インターネットの海にもぐりこんでいた気がする。本当に無駄な時間を過ごしていたとも思うけれど、思い返せば楽しかったような気もする。

 

どうして今、少し懐かしい気分になっているのだろうか。

日常のこと色々

秋葉原はいつ行っても奥まで入れないな

アキハバラ@DEEP』のドラマを久々に視てる。原作は読んだことがないし、その著者の石田衣良も好きじゃないんだけれど、このドラマには結構惹かれるものがある。

放映当時は2006年で、ちょうどセンター試験を受けていた頃だったような気がするな。いや、それより前かな。とにかくドラマ版の『電車男』の後だったのは覚えていて、その所為もあってか、世間的にはアキバ系ドラマはもういいよって雰囲気もあったような気がするなあ。

電車男』は、設定がアキバ系なだけであって舞台はサイバー(仮想空間)上とリアル(現実)を行き来するラブストーリー。一方の『アキハバラ@DEEP』は舞台がアキバの冒険活劇。もちろん仮想空間でやりとりをする場面もあるのだけれど、登場人物がちゃんとアキバの街をうろうろしているところが本当に魅力的に思える。

 

そういえば昔、意味もなく秋葉原に住んでみたかった。というのも、僕には秋葉原という街がなんとなく幻想世界に見えたからだ。どうしてそう見えるのかという理由は割愛するけれど、日常の世界に疲れを感じていた僕は、非日常的な空間へ訪れて、何か刺激になるものを感じたかったのだろうなあ。

後になって、コミックの『パーツのぱ』を読み始めた時も、秋葉原という街に住んで、そこで仕事(この場合PCショップ店員)がしたいとも思っていたな。フリーターをしながら生涯を終える。うん、全然悪くない。必要最低限のお金が貰えて、毎日をゆるーく過ごしていけるなら、それでいいと思えた。むしろそれを強く望んだ。

改めてドラマを視てると、その頃を自分を思い出して、胸が少し苦しくなる。

 

■陽射しがあったかい

お家におじゃました。仕事を終えて、晩御飯を選ぶためにスーパーをうろうろして、それからケンタッキーまで買って…落ち着いていないのが、今思い出しても把握できる。お互いに落ち着いてなかった気がするなあ。

テレビを見ながら、温めたコロッケとロールキャベツを食べ、淹れてもらったお茶を飲んで…、たったこれだけのことなのに、こんなに幸せに思える。ほんとに不思議。

前日は、ミラクルムーンの情報をたくさん調べていて、一緒に見るつもりだったのにな。そんなこと忘れてしまうくらい、一緒に居るってことに幸福感と嬉しさを感じて、気分が高揚しすぎてしまったんだろう。ついでに、一緒に進めようと思っていた研修報告書も忘れた。

朝起きて、ひとりでバスに乗って職場へ向かう途中に見た景色は、なんとも言えないくらい温かかった。朝の陽射しがゆるい影を作っていて、車窓から見える風景は橙色のような山吹色のような…とにかく暖色のレイヤーを重ねてしまったかのような色合い。そして、ランドセルを背負った子ども達や、通り過ぎ行く車を見ては、目から温かさを感じるのだ。

ああ、あなたはいつもこの景色を見て、この景色の中を通って職場へ若しくは僕に会いに来てくれてるんだね。

またひとつ、近づけた気がした。共有できた。何気ない日常の風景なんだろうけど、僕には全然違って見えた。それでも見たものは一緒のはず。だから共有はできたのだ。

 

■たからもの

誕生日に貰ったもの。嬉しくて、用もないのにずっと持ち歩いたり、手帳を開いては書く必要も無いのに使ったりしてる。定価を改めて確認して、やっぱり良いモノだなあと。

その後に、あーやっぱり僕から渡す誕生日プレゼントも同じ価格帯にすれば良かったと少し後悔。もちろん価格でプレゼントが決まるわけじゃないんだけれど、安いモノ持ってきたなって思われてしまうのはやっぱり辛い。その時思ってしまっただけと、優しい言葉をくれたけれど、一瞬でも思わせてしまったのが辛い。今回、正直失敗だ。

気持ちが大切ってのは理解してるんだけどね。がっかりさせてしまったのかなって心配が残ってしまう。ちょっと悲しさも残ってしまった。次回この失敗は取り返そう。

 

 

正面から覗いているだけじゃ見えない

自分なりの本気を出して、一生懸命に臨んでみればみるほど、空回りをしてしまう。本当に難しくて困ったな。たぶん、一生懸命になるところが間違っているんだろうか。

 

わからなくなったら、一旦引いて以前の自分に戻ればいい。もしくは、何か別のことに没頭すればいい。過去に読んだ本にそんなことが書いてあったっけ。

他者の考えをそのまま使うのは性格的には合わないんだけれど、この際は仕方がない。そこから何か生まれるもの、発見できるものがあるかも知れない。いろいろとわがままは言ってらんない状況にもなってきているから、とりあえず今はそれに縋るしかない。

 

本当に僕は下手くそだ。考え方も、生き方も、配慮も、努力も。ほんとうに生きてるのが嫌になるくらい。

それでもちゃんと希望は持てるようになったんだから、今回はまわり道でもしよう。そこで何かが得られたらいいし、何も得られなかったらまた別のことを考えればいいし。

 

 

とにかく今は、身の回りのものを一掃しよう。まずはそこから。