紅茶と君と僕。

気ままに、そのままに。

夕陽を見ると

生きることが辛くなってしまうとか、悲しい気分になったり感傷的になる人が多い。言っていることは理解できるんだけど、夕陽を見てそんな気持ちになったことが無かった。たぶんこれからも無い。

 

どうしてか、僕は夕陽が出ている景色が好きだ。夕刻と呼ばれるあの時間帯が好き。街灯が付き始め、風が心地良いものに変わり、建物や道路が橙に染まる。昼間の景色とは雰囲気が異なっていて、それは景観だけじゃなく人の雰囲気も変わって、その街の本性が表れる時間なのかも知れない。

ある人は夕食の支度のための買い物、ある人は就業時間を終えて帰路に着く。職場や家事といった昼間の顔を捨てて、みんなが本来の自分のための自分に戻る時間。

 

だからと言って、僕は別に人が好きなわけでもなければ、その人達を見て和むわけでもない。外向きの顔という仮面を外した人達が作る安堵感のようなもの、その空気がきっと街の雰囲気にも色を付けて、視覚的にも感覚的にも街が暖色に包まれ、その景色を見た僕がひとりで和んでいるのだろう。

 

ところで、旅行やお出かけをすると、ひとりでそういうものを楽しんでいた。でも今は君が横に居て、同じ景色を見ながら何を思うのだろう。少し気になる。

捉え方が違ったり、もしかしたら寂しく思うのかも知れないけれど、それはそれで良いと思っている。

 

抱いた気持ちは違えど、見たものは同じ。共有できているはずなんだから。ふたりで、いつかの記憶の答え合わせができると良いな。

 

しるどらーっ!!

ファイナルファンタジー5SFC

急にFF5をプレイしたくなったので、懐かしみつつのんびりと進める。

FF4は色んなハードで出たり続編まで登場したけど、FF5FF6はあんまり出されることなかった記憶があるなあ。久々に触ってみるとATBゲージの表示だったり、アビリティシステムとかも含めてとても良調整でバランスのとれた作品だったなあと思わせてくれる。

 

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HPがとっても仲良し。思いのほかレベルが上がってしまってヌルゲーになりつつある。

 

とりあえず第二世界には突入。あっという間に終わってしまうビッグブリッジの死闘も終えて、じじいん家(バル城)の地下でせきぞう狩り。

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ABPうまうま。あおまほうさまさま。

こいつら、レベル35でも普通に闘うとキツイとかね…ウォルス城地下のガルキマセラもそうだけど、初見時は本当に意味不明なまま死んでいったよね。FF5は初見殺し多すぎる。かめとかメカとかあいつとかあいつとか…。

昔倒せなかった分、今回根こそぎ狩りとってやるわ!!ふはは。

そういえば第一世界のプロトタイプ忘れてるね。もういいや。

 

しばらくはここでABP稼いでというか、もうここでものまね師以外はジョブマスターさせちゃおうと思ってる。ムーバーよりせきぞうの方がおいしいしね。

何より城内に道具屋も宿屋もセーブポイントもあるし、しばらくここから出る気になれない。

 

しかし…、バッツの故郷であるリックスの村では宿代がタダだったり、アイテムが半額だったりしたのに。

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じじい(バル城城主)から金(定価)を取る、城内の店主たち。じじいを先頭にしてもこの通りだ!

 

昔は人望ないのかと思ってたけど、今となって思うのは、おそらくじいさんは経済に強い人で、わしがここで金を使えばバル城に金の流れが生まれて家臣達の給料も上がってデフレがインフレになって幸福感が世に広まり世界が闘いをやめ…もうやめよう。

とにかく第一世界に比べてここの世界はみんなさばさばしとるんじゃよ…。

 

 

ディシディア ファイナルファンタジー

2008年のもので、デュオデシムでもない。ディシディア自体をプレイしたことなかったので、今更プレイ。

デュオデシムやればいいのにって言われるけど、とりあえずね、うん。

しかし、7年も前のゲームかこれ。件のディシディアが出る7年前はFF10が発売した年やで。そっからの7年と、ディシディアからの7年を比べると長さも違う気がするし、進歩も少ない気がしてしまう。

そもそもディシディアって2011年のゲームだと思ってたから、そんなに古いのかこのゲーム!って感じが全然抜けない。

 

ストーリーに関してはなにこれって感じ。クロスオーバー作品だから仕方のないことなのかも知れないけど。

そんなことでクリスタルが手に入るとでも?→なに!?しかし惑わされない!→真実を知りたければわたしについてこい→うう、どうすれば→コスモス登場「やりたいようにやれ。それが真実や」→おれ(わたし)がんばるわ、な流ればっかだし。

とにかくみんな語らなさ過ぎ。身内同士でも会話になってない時あるしね!

そんでもって世界が闇に飲み込まれましたとか、おーい。理解をしようと思えばできるけど、納得はできないし置いてかれてるよ。

 

とりあえず現状は、D.O.パートが終わって、S.I.パート。使用キャラはジタンLv58。

てかフリーエナジー強すぎんよ…これ。空中から攻めてぶっ飛ばしてそのままどーんはさすがに酷い。使う分には楽で良いけど、逆にあれされたらどうやって避けたら良いんだ…。

とりあえず早くシャントットガブラス使いたいから、せっせと敵を粉砕中。

ゲームをする時間が増えた?

去年より遊んでいる気がする。

 

そういえば去年は一生懸命ゲームをしている彼女を見て、うらやましく思った。それは暇が無いから思ったわけではなくて、自分が持っている感覚から湧き出る壁のせいだ。

漫画でもゲームでもドラマでも映画でも…、日常生活でもか。何かしらの先入観が作用して、あまり楽しめない性格になっていた気がする。

或いはひとりで勝手に諦めていて、時間の無駄だと思ってしまうこともあった。

 

そんな感覚が染み付いていたから、一生懸命遊んでいる彼女を見て少し驚いて、そして自分が酷くつまらなく感じた。

つまらない、退屈、そう思うからそう感じるんだろうか。

日常生活が面白くないという人は、人生もつまらないものになる。何かの本だったかテレビだったか、それを思い出した。

 

自分はこの人のように楽しくなれないだろうなあと思っていたけど、今こうやって楽しめているところを思うと、結構感化されてるのかも知れない。

誰かと一緒に居ることの大切さは、こういうことで感じられる。

 

僕は君になりたい。君になればもっともっと近づけるのではないだろうか。

君になるけれど、自分を捨ててはいけない。そうしないと僕が消える。

 

でも本当はそんなことはできない。僕は僕のまま。だから一緒に居るんだろうなあ。

 

 

ぼーっとゲームをしながら、そんなことを考えてた。

こういう仕事がしたかった

こういう仕事がしたかったんだ。素直にそう思える。

 

以前働いていた場所が楽しくなかったわけでもない。それなりに達成感も味わえたし、責任感を持って取り組める場所ではあった。

でも、何かと嫌な気持ちになることも多かった。

 

今の職場は、坦々と仕事ができる。毎日やることをやるだけ。それでいて責任重大な仕事。ひたすら資料を眺めたり検索したりして、書を司ることに専念する。

つまらないと言えば、たしかにつまらない仕事なのかも知れない。それでも自分にはこういう仕事が向いているような気がする。

 

 

今の環境に居ると去年と比べてしまい、それが少し腹立たしくも思える。

かつての上司達は、自分達のことを仲間だとは認識していなかった。トップである人が、子供を叱るような気分だとも言っていた。

思うまでは良いにしても、口にして良いような言葉じゃない。聞いた瞬間は、こんな人の下で働いているのかとがっかりしたものだ。

 

今の人達は、どこまでも丁寧でどこまでも強い。涼しい顔をしながらマイペースに見えて、それでいて多大な仕事を責任を持ってこなしてしまう。

時折、自分が足を引っ張らないか怖くなるほど。それでもこの人達にならちゃんとついて行きたい。この人達からどんどん学びたい。

 

本当に良かった。本当に嬉しい。

中部地方

寝違えてしまったのか。重すぎる廃棄本を無理に持ち上げたせいか…。

首と左肩が痛い!左側が向けない!(これ書いてる今は治っています)

 

こんな状態で名古屋に行ってきました。

アーバンライナーへ乗り込むも、マフラーをコルセット代わりに首を守る。というか、ずっとマフラー装備な旅行になってしまった。

 

 

久々にのんびりした旅行となったなあ。

写真を見返しつつ、旅行の日記を書きたいんだけど…、書くことが多くなりそうなので続きは後日。

 

今は仕事の後片付けで目が回りそう。

新しい季節が来てしまう

また春がやってきた。

 

初めて君とあったのは、去年の今頃だった。青いステンカラーのコートから華奢な脚が覗く、とてもおっとりとした性格の君。

その時の僕は、極度に人を避けようとする性格だった。挨拶や会話は必要な分だけ、踏み入らず踏み込ませず、それでやり過ごそうとしていた。

面倒ごとは嫌い。関われば何かしらの感情を持ってしまい、それを考え込んでしまうのが、ひどく面倒なのだ。

だからこそ、影を薄く、皆に等しく優しく、感情は抑えめ。それで行こうと決めていた。

 

「一緒に帰りませんか」

そう言ってくれた君は、ずいぶん努力をしていた。今までの経験を踏まえて、自分を少しでも変えようと、職場の雰囲気を良くしようと、前向きに歩いていた。

 

 

まぶしかった。温かかった。

なるほど、たまにドラマや小説なんかで見られる「太陽」という表現は、こういうことを表すんだろうなと。

 

 

あれから1年が経ってしまった。

不思議で仕方がない。1年という短い期間で、君はたくさんのものをくれた。僕には返しきれないものばかり。声も、涙も、ぬくもりも、全部渡してくれた。

 

たぶん、僕は立ち直れた。

地下鉄で、君の横で泣いてしまった僕は、もう過去の人となった。

 

ありがとう。

2月が終わる

今の仕事に対して思うことがたくさんあるけれど、おそらく発することもなければ解決することもなく終わっていくんだろうなあ。

仕事に対してストレスを貯めても、ろくなことがないし無駄なことであるのに、たまに、ほんのすこしだけ、職場の皆さんに理解して欲しいと思ってしまうことがあるのだ。

 

 

2月があっという間だった。USJで始まったような気がしていた2月は、もう今日で終わり。

テーマパークに無縁な僕は、USJには13年ぶりに訪れたことになる。

本当に楽しいと思った。というのも、USJ自体の話では無くて、テーマパークで時間を費やすことにである。

昨年ディズニーランドに生まれて初めて行ってきたディズニーランドに比べたら、USJは見劣りする部分がたくさんあるけど、やっぱり楽しかったのだ。

 

アトラクションが楽しいのはもちろん。個人的にはアトラクションの待ち時間に動画を見たり、バタービールまずくて変な顔したり、一緒に乗り込んでいる時に、こっそり横顔を見たりなど、テーマパークの中での「ちょっとしたこと」が楽しかった。

本当にちょっとしたことなんだけど、テーマパークに来ているからこそ味わえるちょっとしたこと。

誘ってくれなければ、君が一緒に居なければ、経験することも感じることもなかったんだろう。そう思うと、当たり前のことが当たり前じゃなく感じられて、またひとつ大切に思えるようになった。

 

また行きたいなあ。次はどんな感じなんだろう。面白く思えるのか、つまらなく思えるのか。

どちらにせよ、次の景色が見たい。